ってなわけで、こんにちは。ひょんなことから、このメディアで書くことになった小林である。普段は社会問題や事件など、お堅い分野を書くことが多い筆者だが、こういったテンションの高いメディアは初めて…ではなかった。勘違いだ。以前、お散歩記事を書いたことがあったかもしれない。
なんてことはさておいて、筆者が生まれたのは滝川市である。空知総合振興局に分類され、岩見沢市と対を張ると筆者は勝手に思っている。岩見沢市民がどう思っているのかは知らないが。
筆者は滝川で生まれた。高校まで滝川におり、大学への進学で札幌市に引っ越した。それから紆余曲折を経て筆者は再び札幌に戻り、記者として働きつつ、「酒クズ」として日々酒を飲み続ける生活を送っている(飲みすぎは禁物)。
今回取り上げるのは、滝川の銘菓「モンモオ」である。
「かわいい」
「なんて愛くるしい」
名前を聞いただけでそう思った人も、中にはいるかもしれない。滝川には銘菓・名物と呼ばれるものがいくつかある。「滝川旅情」もそうだし、「松尾ジンギスカン」の本店もある。気になった読者は、ぜひ調べてみてほしい。スマートフォンがあるのだから、有効活用してくれ。
筆者が「モンモオ」と出会ったのは、小さいころだ。祖母の家に行っては、「モンモオ」と「滝川旅情」を食べていた記憶がある。いつからあるのかわからない。いつの間にあった?みたいな感覚を持っていたが、身近だったお菓子であった。
本稿の趣旨は、「モンモオ」を実際に購入して久しぶりに食べ、そのルーツを探ろうぜ!!というものである。筆者は「モンモオ」と再会を果たすべく、足軽に滝川へと向かった。
ここは札幌駅。取材当日は天気があまりよろしくなかった。
札幌駅9番ホームに停車中の特急「ライラック」に乗車する。この日は大変混雑しており、撮影を考慮し、なんとグリーン車に乗車した。この車両のグリーン車を利用するのは初めてで、どんなものかと期待が高まった。
札幌を出発し、約1時間ほどで滝川に到着。グリーン車だったのが幸いしたのか、隣に座る人はいなかった。滝川に着いたのは午前7時半ごろ。「モンモオ」を販売する「おかだ菓子舗」は9時からの営業となっていたため、駅周辺を遠回りしてぶらぶら歩いてみようと決めた。読者にも滝川のことをぜひ知ってほしいので、ちょっとお付き合い願いたい。
駅を出てすぐ、いくつかのバス停に目が行く。よく見てみると、「運行終了」の文字が。筆者の実家は昔、ここら辺を通るあたりにあった。滝川にいたときは中央バス「滝川市内線西町先廻り」を利用していたが、乗務員不足などの影響もあり今年3月末で運行を終了したようだ。
そこから10分少し歩くと、こんな看板が出てきた。
「ヒグマ出没」である。
筆者の昔の実家は本当にここら辺にあった。怖いものである。「ヒグマに襲われるかもしれない」と怖くなった筆者は、足早にこの場所を後にした。そこから5分ほど歩くと、筆者の母校「北海道滝川西高校」が見えてくる。あたりでは「滝西」(タキニシ)と呼ばれ、野球部は数年前の夏の甲子園に出場。相手は仙台育英で、大差をつけられて敗北を喫していた記憶がある。筆者はここで3年間を過ごした。様々なことを教えてもらい、今に活きている部分もある。当時、筆者にものごとを教えていただいた先生方、ありがとうございました!!
母校を通り過ぎ、感傷に浸りながら再び滝川駅方向に歩みを進める。北海道は雪が多く降る地域だ。新千歳空港がある千歳市などのように雪が少ない地域もあるが、滝川は思ったよりも雪が降る。そのためか、道路も歩道も広い。雪が降り、気温も氷点下になれば雪は解けなくなることを「根雪」(ねゆき)といい、数カ月は雪が降り積もったままの状態が続く。
さらに雪が降れば、除雪する必要がある。除雪すれば、道路や歩道に雪を寄せることもあるため、雪置き場としての機能も有しているのが広い歩道・道路というわけだ。
大きい通りに出て歩く。すると、とある古本屋が目に入ってくる。その名は「ブックランドバイ」。筆者が引っ越しで滝川から離れる際、最後に立ち寄った古本屋である。この日、購入した1冊は「週刊明星1983年10月13日号」。トップは「薬師丸ひろ子ついに留年を覚悟、手術も!」「沖雅也の実録映画の問題シーン!」「小柳ルミ子、梓みちよの名も利用、水子除霊サギ事件の凄い手口」の3本だ。時代を感じる特集である。
そこから少し歩くと見えてくるのは、滝川で有名な食堂「まるかつ」だ。「まるかつ」は激安のうどん・そばを提供する店として一部では話題であり、お昼時は店の中に人が入りきれなくなるほど。この日は人があふれるほど混んでいるわけではなく、平穏な雰囲気が流れていた。
筆者も昼食をとろうと思い、「まるかつ」ではないとある場所に向かった。それは「そばの丸二」である。
筆者が小さいころから通っているそばやうどんを提供する店で、それなりに思い出はある。祖母が沢山連れて行ってくれた場所でもあるのだ。撮影の許可をもらったので、パシャリ。頼んだのは普通の「ざるそば」。特別なものなどいらないのだ。
思い出に浸りながらそばを完食し、向かうは「モンモオ」が売られている「おかだ菓子舗」。すっかり営業開始時間を過ぎていたが、混雑を避ける作戦を取った。
丸二から歩いて10~15分、ようやく「おかだ菓子舗」に到着した。
さっそく店内に入り、「モンモオ」を購入する。ついでに、店員さんに話を聞く。
「すみません。『モンモオ』ってどうしてできたのかご存じですか。ちょっと聞きたくて」
「ああ、私が知っているのは、『モンモオ』の由来が牛の鳴き声みたいなものだってことくらいかな。それ以外は昔の話だからわからないです」
その後もいくつかのやり取りがあった後、「?」となったまま筆者は札幌に帰った。
その翌日、筆者はモンモオを食べることにした。
これがモンモオである。
筆者が小さいころは、パッケージがアルミホイルのような素材でできていたと記憶しているが、変わったようで、パッケージはプラスチック素材であった。でも、パッケージのデザインは何ら変わっていない。当時を思い出してウルウルした。
封を切ると、「うっわ!!!!懐かしい!」と思わず声が出てしまった。これが『モンモオ』の全てである。決して石器や生き物ではない。唯一無二の『モンモオ』なのだ。
真ん中から折ると、中にはびっしりと白あんが敷き詰められている。甘いものが好きか嫌いかで評価は分かれるが、知人の言葉を借りれば「甘いものを食べたいときにはうってつけ」である。
筆者が「モンモオ」を食べたのは十数年ぶり。筆者は現在、28歳だが、20代のころは食べていない記憶がある。そうすると、10数年ぶりということになろう。感慨深い。
現在、おかだ菓子舗のホームページは閲覧できなくなっているが、「WEBアーカイブ」というものを利用すれば、過去に公開していたホームページを閲覧できる。さっそく、「モンモオ」を調べてみると「当店の看板商品でもあり、滝川を代表するお菓子として滝川市民はもとより広く全国にファンを持つ白あんの焼き菓子。40年以上の歴史を持つ名品」「乳製品をたっぷりと使った独特の風味と食感が人気の秘密」との文章が。名前の由来は「『牛の鳴き声の「も~も~」をもじったもの』」としていたが、誰がモンモオを作ったのかや、どのような変遷があったのかについては何もわからなかった。
不完全燃焼と言いたいところだが、この「何もわからない」というのがいいのかもしれない。現代はスマホの普及もあり、何でもかんでもすぐに調べられるようになった。そうじゃない世界もまた、今の時代には必要なのではないか…とのアンチテーゼを唱え、本稿を締めることとしたい。